2018-01-29 第196回国会 衆議院 予算委員会 第2号
そして、その二十分後の十時五十一分に、群馬県知事より自衛隊の災害派遣要請がなされたわけでございまして、結局、二百八十名、七十五車両、九航空機が出動したというわけでございます。そして、それからその約十五分後に、噴火警戒レベル、これは気象庁が定めているわけでありますが、一から二に引き上げられました。
そして、その二十分後の十時五十一分に、群馬県知事より自衛隊の災害派遣要請がなされたわけでございまして、結局、二百八十名、七十五車両、九航空機が出動したというわけでございます。そして、それからその約十五分後に、噴火警戒レベル、これは気象庁が定めているわけでありますが、一から二に引き上げられました。
○政府参考人(木村陽一君) 昨年の十月十五日の第五回新エネルギー小委員会、御指摘のとおり大澤群馬県知事、委員として御参画いただいておりますけれども、その代理の方からでございますが、プレゼンテーションをいただきました。
地元の群馬県知事や長野原町の町長等の御意見をお伺いしながら、現地訪問について検討していきたいというふうに考えております。
ただし、これは検討の場の事務局を構成しているわけで、第一回のこの検討の場には、群馬県知事、埼玉県知事、千葉県知事、栃木県知事が出席して、むしろ、この議論を中心に検討を積み重ねてきたというふうに承知をしております。
そして、大澤群馬県知事、高山長野原町長、竹内議長、中澤東吾妻町長、菅谷議長と、また県会議員の先生方もおられました、意見交換もさせていただき、今御指摘のことについて、さらに具体的に、そして厳しい、あるいは重い御意見を承りました。
ただし、御本人が出られたのは、群馬県知事さん、埼玉県知事さん、東京都知事さんお三方と、あとは副知事さんだったと思います。 お会いして、御意見をお聞きした上で申し上げたのは、一都五県の流域を代表する首長の方々でございますから、一都五県の知事さん方の一致した御意見というのは非常に重く受けとめさせていただくというふうに申し上げたかと記憶をしております。
そのとき、東京都知事も、うちの群馬県知事も怒りました。何だ、先延ばしじゃないかと。報告書を出したって、では中止かどうか、それからまた検討するという話なんだから。いつまでたったらこうなるんだと非常に怒りましたよ。 東京の都知事だって、夏に出て、その後いつ結論が出るかわからないなんて、負担金を払っている我々としてはおかしいじゃないかというふうに記者会見で言っておられました。
だから、都知事始め埼玉県知事、群馬県知事、みんな怒っているわけですよ。何で勝手にやめるんだと、おれたち金出してやろうと決めたじゃないかと、国も予算通したじゃないかと、何でやめるんだと。やめる理由を聞けば、何だか訳の分からないことで、ちっとも言わないと。だから怒っているんです。何でそんなことをオープンに、簡単に答えられないのかと。
○大臣政務官(長島昭久君) 今先生が御指摘になられましたように、二月二十二日に群馬県知事から防衛大臣に対しまして飛行の中止など米軍が適切な対応を取るよう要請する旨の申入れがなされました。また、三月二日には同県から、三月九日及び十日の公立高校の試験日の飛行自粛について申入れがなされたところであります。
これは群馬県知事から許可をされた処分場です。また、この許可に従って、しゅんせつ土砂は、脱水されて、さらにセメントと混合されて、処分場に搬入された後、雨水による流出から守るために覆土、上から土をかぶせて、現在置かれております。
その中で、平成七年、地元の自治体、これは今、東吾妻町になりまして、吾妻町長と群馬県知事と建設省、国ですね、建設に関する基本協定が交わされました。当時の政権というのは、自民党、社会党、さきがけの政権で、当時、さきがけの代表幹事は鳩山総理で、政調会長は菅副総理で、前原大臣もさきがけの衆議院議員であられた。
それで、平成二十年九月、関係都道府県でございますけれども、地元の群馬県知事からは、ダムの完成については極力早期の完成を期してほしい、埼玉県の知事からも、さらなる工期延長がないよう万全を期されたい、千葉県知事、工期を厳守すること、東京都知事、さらなる工期の延長がないよう万全を期すことということで、生活再建等々の問題もかねて経緯があるだけに、工期、二十七年ということについて極力守っていきたいというための
また、群馬県知事も、あるいは群馬県議会も、危機感を持って、要望書あるいは決議文を出しております。 大臣はこのことを御存じですか。
また、環境省としては、群馬県知事より始末書の提出を受け、本年十一月、群馬県知事あてに厳重注意文書を発出したところでございます。 日光国立公園尾瀬山の鼻にある公衆トイレについては、群馬県が公衆トイレの建てかえを行うに際し、工事関係者が旧トイレ浄化槽の一部を撤去せずに埋め戻していたものでございます。
これはやはり一軒一軒うちを、薬箱に入れていろいろな薬を持って歩いて、非常に便利な日本の伝統的な形態なんですが、それに対して厚生省は、これは大分昔のことでありますが、昭和三十八年に、群馬県知事からの問い合わせに答えて、業務局長名でもって、「配置販売業は個々の消費者に対する行商形態の販売業であるから、学校及び事業所等は、配置販売業の配置対象とは認められない。」
ここに、自民党と群馬県知事の間に結ばれた確約書があります。これは一体どういう確約書なのかといいますと、昭和六十年十一月十五日に、当時の群馬県知事情水一郎氏と自由民主党の副総裁の二階堂進氏、幹事長の金丸信氏、総務会長の宮澤喜一氏などが「信越本線については、地域圏交通としての機能を維持するよう努めるものとする」こういう確約書なのですね。署名もされています。
群馬県の渋川市を中心とする地域におきましては、平成七年の七月十日以来今日まで計五回、三十一件のアメリカ軍の超低空飛行の訓練と思われる被害が発生いたしておりまして、群馬県知事あるいは地元の市町村から在日米軍に対して四回、外務省に対して五回、それから防衛施設庁に対して五回、訓練の中止方の要請がしてございます。 時間の関係がありますからまとめてやります。
小寺弘之さんは群馬県知事を二期目を今やっておられるわけでございます。お二人とも若き愛知県地方課長の村田敬次郎さんのその地方課におられた二人でございます。この村田さんという方が同時に教育者でもいらっしゃる。村田学校、村田教室という言葉がありますように、そういう意味において私はこの書物がそういう人材を養成しながらつくられた本であるというところに敬意を表するわけでございます。
それから、小寺弘之氏は今群馬県知事として地方自治に当たっておられます。三十何年にわたって根本的な協力者でありますが、広域行政、府県合併、市町村合併の問題は、私が広域行政論をこのお二人のよき協力者め協力を得て出しました当時から、昭和三十年代からの根本的テーマである。
○須永委員 昨年の九月七日に群馬県知事から東京税関あてに群馬県東毛地域への通関施設の要望が出ているというふうに思いますが、その検討状況についてお聞かせいただきたいと思います。
年々繰り返されてきたダム闘争の歴史は深く脳裏に刻み込まれております用地元では依然として強い反対が続いておりまするけれども、群馬県知事がダム問題の判断食科として生活再建案を策定し、これを通じて問題の解決に努めた結果、昭和六十年十一月に群馬県知事と長野原町との間で、八ツ場ダムに係る生活再建案に関する覚書が締結され、昭和六十一年七月には特定多目的ダム法に基づく基本計画が告示されました。
○政府委員(陣内孝雄君) 先ほど先生の方からもお話がございましたけれども、八ツ場ダム建設事業につきましては、昭和六十年の十一月に群馬県知事と長野原町長との間で生活再建に係る覚書が締結され、基本的な合意がなされたところでございます。
そういう意味もございまして、先般群馬県知事から運輸大臣に対しまして、これらにつきましては国の責任において措置をしてくださいというふうな要請が出ております。